政界再編 2008 4 29

 自民党にも民主党にも、社会主義的な部分と自由主義的な部分があります。
これは、よく言えば、政策のデパートと言えるでしょう。
しかし、悪く言えば、国民にとって、「わかりにくい政治」となっています。
 「わかりにくい政治」が招いたものは、何か。
それは、投票率の低下です。
あまりにも低い投票率の問題を、これ以上、放置できないと思います。
投票率の低下は、民主主義の形骸化を招く。

政府の規模 2008 3 29
 また、岩田規久男氏の本を取り上げましょう。
書名 「小さな政府」を問いなおす  ちくま新書
(以下、引用)
第二章 知られざる戦後日本の社会主義革命
 日本の政府は高度成長期までは比較的小さかったが、
高度成長期の終わりから1970年代にかけて急速に大きくなった。
 この時期に「大きな政府」を作り上げたのは、
田中角栄による「社会主義革命」だった。
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 地域格差の是正を早くから政治課題に取り上げたのは、
自民党の田中角栄であった。
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 田中は首相になる、はるか前から、道路整備こそ、
(都市の)過密・(地方の)過疎の弊害を同時に解消し、
地域格差をなくす切り札であると考えていた。
 しかし、道路を全国あまねく整備するには膨大な資金がいる。
考えあぐねた末、
田中は揮発油税を道路整備の財源にするというアイデアを思いつき、
1953年に、議員立法で「道路整備費の財源等に関する臨時措置法」を作った。
これが道路特定財源の始まりである。
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以後、道路特定財源は打ち出の小槌のごとく道路建設に使われることになった。
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 田中は、「地方も、農民も、中小企業も、零細小売業も、みな弱者であるから、
強者から金を取り上げ、強者の活動を制限して助けなければならない」という。
 当時の社会党や共産党は「自民党は大企業の利益を優先する党で、
庶民の敵だ」という論陣を張って党勢を拡大しようとした。
 しかし、角栄型自民党の実態は弱者の味方だったのだから、
社会党や共産党が自民党に勝つことは到底できない相談であった。
(以上、引用)
 社会主義というと、福祉や医療を連想するでしょうが、
こうした、田中角栄方式の社会主義も、あり得るでしょう。
もちろん、どのような方式の社会主義も、国家の政策となるでしょう。
 自由主義か、社会主義か。
どちらの政策も、正しいと思います。
 しかし、どちらの政策を取るべきか。
それは、国民に聞くべきです。
日本の政治は、「お上が決めたから、国民は従え」という方式が、あまりにも多すぎると思います。
















































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